糠沢小ニュース

★★糠沢っ子へ「もとみやの人々の努力と歴史を伝え!」―岩色疎水ができるまで!―

 11月1日(木),4年生の社会科にて「郷土の発展につくす」の単元で,「大地に水を引く」ことに関する学習を校長お手伝いしました。すでに,「岩色疎水」に関する学習は進んでいましたが,これらに関する具体的な説明のために,「岩色疎水」に関わりの深い校長が,担任から依頼されて子どもたちへ伝えました。

「なぜ,疎水を作ったのか?」という「めあて」のもと,子どもたちと一緒に考えました。まず,疎水を作る前の村の様子をイメージしやすいように「立体模型」にて提示しました。この土地の近くには五百川が流れており,水は豊富でしたが,土地より低いところを流れているために,昔の人々は水を得ることが困難でした。子どもたちは,五百川から水を汲み上げられないことを理解し,大岩や山などを掘りながら「疎水」を作り上げたことを知りました。

<村づくり・疎水づくりに携わった人々の紹介>

 西暦1564年に畠山六左エ門秀富さんが,五百川近くの石川原に村をつくため開拓し,五百川に「堰」を築き開田し,水を引くことができました。その村は関下村です。その後,西暦1668年に,秀富さんの曽孫である直富さんが,岩色の大岩にトンネルを掘り,「岩色疎水づくり」が始まりました。

 このような経緯を説明し,岩色疎水を作るために多くの人々が協力して完成させたことを伝えました。さらに,明治時代に入ってから初代岩根村長の伊藤八郎さんによる「疎水」の延長と維持について説明をしました。

 さらに,旧白沢村の疎水関係についても説明をしました。近くに阿武隈川が流れていますが,旧白沢村の土地が高いところにあるため,田畑へ水を供給するには「ため池」しかありませんでした。そこで,昭和19年ごろ阿武隈川から水を引く計画が実行されました。「岩色疎水」と同様に,当時の人々の協力と努力により水を引くことができました。(以前勤務していた小学校区ですので,説明をしました。)

 以上のことを,模型や写真等を活用して,子どもたちへ伝えました。

<資料の出典>

 〇もとみや小学校社会科副読本

 〇うつくしま電子事典